最近、毎日雨が降っています。
だから洗濯物を干すタイミングが難しい。
「晴れ→ゲリラ豪雨」のパターンが多いので先が読めません。
去年から心の変化。
去年:今干したばっかりなのに、雨が降って来た!
取りこまないとっ!
今 :今干したばっかりなのに、雨が降って来た!
干しときゃいつか乾くでしょ!
天気が読めないなら、自分が好きなタイミングで洗濯すればいいという考えです。
部屋で干すとその後の「生乾き」のにおいがきついということもあり、
雨に濡れてもいつか乾けばよしっ、という判断です。
さて、私が通っている教員養成センターでは、毎日、学生(これから教員になる人)が授業を受けに通っています。
学生は300人います。
今年に入ってから、学校の中にゴミ箱が設置されました。
前は1個だけしかありませんでしたが、今は10個以上設置されました。
(どんだけ増やすの?)と思いましたが、(少ないよりいいか)と思いました。
セネガルでは、ゴミはその場で地面に捨てるというのが当たり前の光景。
この国では常識といえるレベルでしょう。
私「このゴミ、どこに捨てればいい?」
セネガル人「そこ。(地面を指差す)」
私「・・・。」
生活を一緒にしていると、「ゴミは手から離れるもの」に見えてきます。
お菓子のプラスチックの袋は、中身がなくなった瞬間にその人の手から離れています。
飲み終わった空き缶は、歩く手の動きに合わせて手から離れます。
堅めの厚い紙は、子供が遊びで細かくちぎり、飽きたら、手から離れます。
見ていると、捨てているという感じではないのです。
手から離れる、という感じに見えてくるのです。
タクシーに乗っていれば、ごみは窓から外へ投げ出されます。
大きいバスに乗っていれば、床に落とされます。
では、ゴミ箱が設置された教員養成センターではどうか?
正解は「ゴミ箱が目の前にあっても、半分くらいの人は関係なく地面に捨てる」です。
ゴミ箱の周りには、コーヒーを飲んだ後のプラスチックカップや空き缶が散らかっています。
捨てたいタイミングの時にちょうど目の前にゴミ箱があったらゴミを入れるくらいの感覚だと思います。
セネガルの小学校の授業で、ある先生が、
「ゴミをその辺に捨てるのはいいことでしょうか?いいえ、ゴミはゴミ箱に捨てるのが正しいです。」と子供に教えていました。
しかし、小学校の先生だろうと、お菓子の袋は休み時間に校庭にポイポイ捨てています。
守れない人が教えることに説得力はないのです。
「ゴミ箱が設置された」から「ゴミ箱に捨てましょう」という教育がなされなければ、なかなか人は変われないということが分かりました。
私の住む町は、焼却炉が1つもない街。
集められたゴミを運ぶ行き先は、結局、ゴミが大量に集められている場所です。
セネガルでゴミ箱に捨てることが大事だよね、という考えが納得できるのか?
答えは分かりません。