朝がほんのちょっとだけ涼しくなりました。
10月中旬に雨が降ってからは、雨が降っていません。
乾季に入ったのでしょうか。
雨が降る前、ほとんどの場合、強い風が吹きはじめ「今から降るぞ。」的な空気になるので、降ることが察知できます。
そして、ゲリラ豪雨のように雨が降り注ぎます。
ある日、雨が降った時に外にいました。
雨宿りをし、雨が弱まったので家に向かいました。
私の家はこの町でほとんど見ない3階建ての建物になっています。
屋上には雨が降ったとき用の水を流すためのパイプが付いています。
雨が降ると屋上から1階まで、雨が小さい滝のように落ちるのです。
そこにタリべの子供たちが集まっていました。
彼らは、服を脱いで上半身裸になり、半ズボンのジャージをはいたまま、屋上から落ちてくる雨の滝を頭から被り始めました。
それは水遊びとしてではなく、体を洗うため、というのが見て分かりました。
彼らは、普段体を洗うことができないことが推測できます。
私は初めて見たこの雨浴びに衝撃を受けました。
町を歩いていても、家の以外に蛇口のある場所はありません。
日本のように公園という存在はありません。
学校の蛇口には鍵がかけられ、学校の門にも鍵がかけられます。
日中、外を歩いているタリべの子供たちが水を手に入れるためには、
「もらう」という手段しかないのです。
この子たちは、日陰のある家の邪魔にならないところで、寝ているのをよく見かけます。何も敷かずに、硬い地面にそのまま寝ているのです。
タリべは、みんなこのような容器を持って生活しています。
この間、
「水が欲しい。」と言ってきた子がいました。
私は、タリべが持っている食べ物の空の容器に、水を注ぎました。
その水を飲むと思ったのですが、
その子はその容器を洗いはじめました。
容器には、油の多いセネガル料理を直で入れるし、砂が一日中舞っているので、確かによごれるはずです。
(そうか、容器を洗う水も手に入らないのか。)
と思いました。
飲み水でさえ手に入れるのが大変なのに、容器を洗う水も同時に手に入れるのが大変なことが分かりました。
一番タフに生きているのは、タリべの子供たちだと思いました。
このような小学校へ通わない子供たちが町にあふれています。