自分道 Jibun-Dou

アフリカはセネガル。青年海外協力隊。

202 教わって教える

クリスマスで休日でしたが、私が住む町では、その雰囲気を感じることは全くありませんでした。

イスラム教が中心の町には、特になんのクリスマスの飾り付けもされないからです。

 

私は、最近仲良くなった私の近所の友達の家へフランス語を教わりに行きました。

いつも通り暑い空気、いつも通り熱くなった砂の上を歩きました。

 

前にその友達が、

「日本語を教えてほしい。」と私に言いました。

私が日本語を教え、友達にフランス語を教えてもらうことにしました。

 

私は日本にいる時、

「外国に1年住めば、その国の言葉は使いこなせるか?」

という疑問を持っていました。

 

今はセネガルに来て1年以上経過。

自分のフランス語、ウォロフ語(現地語)を分析すると、

使いこなせている場面はあるけど、まだまだ!という感じです。

 

私がスラスラ話せるのは、あいさつ、買い物、乗り物(バス、タクシー)の場面です。

つまり、生活の中でよく使う言葉は結構いい感じに使える、という結果です。

 

「自分の考えを言う」みたいな経験は、自ら話そうとしないと鍛えられないのです。

だから、私はいつも言葉を教えてくれる人を探しているのです。

 

お互い45分ずつお互いの言葉を教え合って思ったことは、教える側だけじゃなくて、教えてもらう側も難しいということでした。

「教えて!」っていうだけ頼み方なら簡単ですが、教える側に内容を任せることになります。

その場合、自分が教えてほしいことじゃない内容になる可能性が高いです。

「どういう風にお願いするか」が案外大事です。

 

私が日本語を教える番の時。

 

友達「あいさつを教えてほしい。」

私 「書くのがいい?それとも、話すのがいい?」

友達「話す方で!」

 

日本語がネイティブの自分は、日本語を知らない人に日本語を教える場合、何から教えたらいいか、ということを今まで考えたことがなかったと思いました。

 

ひとつに「おはよう」を教えました。

初対面の人には「おはようございます。」の方が良いとも教えました。

「日本人は日本語を話す人がいるだけでうれしいと思うから、おはよう。でも良いよ!」と付け足しました。

 

(日本には、日本語を教えてほしい外国人がどれくらいいるのかなぁ?)

と気になりました。

 

近所をぷらついただけでしたが、平和な1日でした。

 

小学校の1学期最終日に、ある先生から急にお願いされたことがありました。

「幼児クラスの子のぬり絵の絵を書いてほしい。」とのことでした。

「サンタで!」とお願いされたので、簡単にかけるサンタを書きました。

私が、

「何枚必要ですか?」

と聞くと、

「21人だから21枚!」

と言われました。

印刷機がないので、手書きで21枚を量産するしかありません。

なんとか、21枚高速で書き終えて、ふぅと息をつくと、

「ツリーも書いて!」

と言われたので、続けて21枚手書きで量産しました。

なんとか子供たちのぬり絵の時間に間に合いました。

子供たちは、ぬり絵を楽しんでいました。

人間印刷機の気持ちでした。


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