自分道 Jibun-Dou

アフリカはセネガル。青年海外協力隊。

216 時計のない教室

2月の今、日中は40度を越し、鍋で沸かしたお湯を浴びる生活から、水シャワーを浴びる日々に戻りました。

 

町は、相変わらずのんびりした空気です。

時々先生たちが急にストライキを始めて、急に子供たちを学校から家に帰すことがあります。

急に決まるので、先が読めません。

「明日の10時にみんなで仕事ストライキするからね。」

みたいな情報が急に入ってきます。

 

小学校からの家への帰り道、乾燥した暑い空気の中、じりじりと太陽の光を強く浴びます。

熱された砂道をひとり歩いていると、時間がゆっくりと流れているような気分になります。

 

セネガルに来てから、時計を見ることがすっかり減りました。

日本にいた時には腕時計は必ず付けていて、ないと落ち着かないくらいでした。

今は、腕時計を付けない生活となり、腕時計をしていた腕の部分もしっかり日焼けしました。

腕時計を付けなくなって、時間を守らないようになったわけじゃなく、見る回数が最小限になったという感じです。

 

実際にセネガルでは、

時計の存在をほぼ目にすることがありません。

 

小学校の教室の壁には、時計が取り付けられていません。

どの教室にもありません。

 

前に私がアナログ時計の授業(算数)をしたときです。

4年生の教室でした。

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私の手作り時計を黒板に貼りました。

 

「8時40分に家を出て、9時に学校に着きました。何分かかりましたか?」

という問題を、ほとんどの子(4年生)が分かりませんでした。

 

日本人は、アナログ時計を日常的に見るので、答えが20分ということはすぐに出せると思います。

 

セネガル人の大人は、ほとんど携帯のデジタル時計で確認しています。 

セネガル人の子供は、普段の生活で時計を使う経験がないのです。

 

子供を見ていると、時間を見ない影響からか、時間をあまり気にしないでゆっくり問題を解く子が多い印象です。

 

時間をみんなが気にしないせいか、セネガル人は日本人とは時間の感覚が違うのです。