2月の今、日中は40度を越し、鍋で沸かしたお湯を浴びる生活から、水シャワーを浴びる日々に戻りました。
町は、相変わらずのんびりした空気です。
時々先生たちが急にストライキを始めて、急に子供たちを学校から家に帰すことがあります。
急に決まるので、先が読めません。
「明日の10時にみんなで仕事ストライキするからね。」
みたいな情報が急に入ってきます。
小学校からの家への帰り道、乾燥した暑い空気の中、じりじりと太陽の光を強く浴びます。
熱された砂道をひとり歩いていると、時間がゆっくりと流れているような気分になります。
セネガルに来てから、時計を見ることがすっかり減りました。
日本にいた時には腕時計は必ず付けていて、ないと落ち着かないくらいでした。
今は、腕時計を付けない生活となり、腕時計をしていた腕の部分もしっかり日焼けしました。
腕時計を付けなくなって、時間を守らないようになったわけじゃなく、見る回数が最小限になったという感じです。
実際にセネガルでは、
時計の存在をほぼ目にすることがありません。
小学校の教室の壁には、時計が取り付けられていません。
どの教室にもありません。
前に私がアナログ時計の授業(算数)をしたときです。
4年生の教室でした。
私の手作り時計を黒板に貼りました。
「8時40分に家を出て、9時に学校に着きました。何分かかりましたか?」
という問題を、ほとんどの子(4年生)が分かりませんでした。
日本人は、アナログ時計を日常的に見るので、答えが20分ということはすぐに出せると思います。
セネガル人の大人は、ほとんど携帯のデジタル時計で確認しています。
セネガル人の子供は、普段の生活で時計を使う経験がないのです。
子供を見ていると、時間を見ない影響からか、時間をあまり気にしないでゆっくり問題を解く子が多い印象です。
時間をみんなが気にしないせいか、セネガル人は日本人とは時間の感覚が違うのです。