生活をしていると、日本とは当たり前の基準が違うことがあります。
「割りこみ」
物を買おうとして商店の前で待っているとき、明らかに私が先に待っていたのに、隙間から割りこみしてきます。
これは、どこでも起きることなのです。
日常茶飯事です。
ぼうっと立ってても、いつまでも自分の番が回って来ないので、
「私の番!」
と主張する必要があります。
明らかに順番を抜かれた時は、
「私の番!」
と相手に声をかけます。
順番を守らなきゃいけないというセネガルには当たり前がないです。
例えば、小学校でも、子供たちに対して「順番を守る」という価値が大切にされていないことから分かります。
子供たちが先生にノートを見せるという時に、
みんなが一斉に先生を取り囲むように群がります。
「列をつくる」という感覚をもっていないのです。
「列を作って!」
と言っても、全然列を作ろうとしません。
何度も言うと、やっと列を作ります。
しばらく経つと、
できた列の途中で、割りこみ合戦が始まります。
見ていると、力が強い子が前へ割りこみ、弱い子が後ろに回されるという構図です。
これを見て思うのは、
「弱肉強食」
です。
それと同時に思うのは、
「日本の順番を守る姿を見たら、どう思うんだろうか?」
ということです。
「列を作って!」
と言うのは、いつも私です。
私だけしか言いません。
他の先生が言っているのも見ません。
先生もセネガルで生まれ育っているため、そのような指導はしません。
私1人だけもっている「順番を守る」という価値、
周りは誰ももっていない「順番を守る」という価値。
私は圧倒的少数派に属しているのです。
正しいと思って主張しているのが自分だけなので、あべこべの世界にまぎれこんだ感じがします。
「順番を守るのが良い!」が、半数を越すくらいの人の価値になったときに、やっと世間が逆転するのだと思います。
今の状態だと、私のような少数派が我慢をすることで釣り合いが取れています。
この法則は「割りこみ」だけじゃなく、何のことでも当てはまることだと思っています。
例えば、体罰なんかもそうです。
ついでに思ったこと。
人が同時に並んだ時、日本だったら…と考えると、
「相手に譲る」
「じゃんけんして先に並ぶ方を決める」
みたいになるだろうと思いました。
セネガルの小学校では、
「押して強い方が残る」
「隙間に体が入れば、体の入ったもん勝ち」
です。
比べてみると、日本は平和的解決をのぞむ派が多いかなと思います。
比べてみると、セネガルの子供はやんちゃです。順番を越されたとしてもタフです。
夜、壁づたいに走るネズミのような存在を見つけたので、私も走っていって何か確かめに近づきました。
近くにいくと、その動物は丸まりました。
正体は、ハリネズミでした。
じっと丸まって動きませんでしたし、ちょっと持ったところで動きませんでした。
少し離れて見守っても動かなかったので、そのままにして帰りました。
できれば顔を見たかった。
丸まってるうちはトゲトゲだから無敵。