自分道 Jibun-Dou

アフリカはセネガル。青年海外協力隊。

229 セネガル

2020年7月1日。

今日が青年海外協力隊の任期、最終日です。

このブログも最終。

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セネガルの小学校の校庭、子供たち。

 

6月に入って、東京都のとある小学校の子供たちとテレビ電話をしました。

5年生がセネガルについてのインタビューをして、私が答えるという授業でした。

 

子供が私へ質問。

 

子供「ウォロフ語(セネガルの現地語)で、こんにちは。はなんと言いますか。」

 

私「こんにちは。は、「アッサラーマライクム」。」

 

子供「ウォロフ語で、好きな言葉はなんですか。」

 

私「好きな言葉は、「ジャンマレック。」=平和だけさ。という意味。」

 

子供「動物の名前で面白い響きの言葉はありましたか。」

 

私「動物の名前は、、」

 

フランス語では「ムトン」で、ウォロフ語では…

(あれっ?ひつじはなんて言うんだっけ、、ひつじは「ハル」か!)

思い出しましたが、少し時間がかかりました。 

 

毎日、道端で遭遇したやぎ、ひつじ、ぶた、うし、うま、ロバ。

それぞれにフランス語の呼び名と、ウォロフ語の呼び名があって、

パッと呼ぶことができた名前が、ぼんやりした記憶になっていることに気付きました。

 

覚えていたものが、だんだんぼんやりしてくる。

記憶は薄れる。

思い出せなくなることもある。

 

首都から離れたセネガルの地方で1人暮らし。

言葉が通じなくて、セネガル人から敬遠されることがありました。

「なんだ言葉ぜんぜん分かってないじゃん。」みたいに。

 

色んな人に話しかけ続けていると、私のことを受け入れてくれる人たちがいました。

 

その人たちは、私の言おうとすることを、

(こういうことを言いたいんじゃないか。)と考えながら耳を傾けました。

そして「こうやって言うんだよ。」と言葉を教えてくれました。

 

その人たちは、私のしようとすることを、一緒に手伝って、助けてくれました。

 

細かい記憶はなくなっていっても、私が1人でもがいているとき、手を差し伸べてくれたことは忘れられません。

 

私が残したいのは、手を差し伸べてくれた人たちです。

 

見た目、言葉、宗教、色々違くても、それらを越えて、分かり合った部分があることを

忘れない。

 

このブログで「セネガルにふれて考えたこと」を書いてきました。

発見があったとき、自分の中のセネガルが広がっていきました。 

私が発信してきたことが、読む人に少しでも伝わったなら、と思います。

読んでいただきありがとうございました。 

 

セネガルにはもう1回行きます。

きっとタイミングが来るでしょう。

 

生きて帰ってきた自分に、珍しく「おつかれさん」と言ってあげて、青年海外協力隊としての活動をしめくくります。

 

自分がこれから「すること」が、

人のためになる、価値のあるものになればいいと思う。

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2020年3月。私が住んでいたルーガをはなれるとき。

近所のみんな。

タクシーの運ちゃんたち、めし屋のおばちゃん。

 

 

 

 

 

セネガル行って、価値観変わった?」

 

 今の答え。

 

「価値観が増えたよ。」