2020年7月1日。
今日が青年海外協力隊の任期、最終日です。
このブログも最終。
セネガルの小学校の校庭、子供たち。
6月に入って、東京都のとある小学校の子供たちとテレビ電話をしました。
5年生がセネガルについてのインタビューをして、私が答えるという授業でした。
子供が私へ質問。
子供「ウォロフ語(セネガルの現地語)で、こんにちは。はなんと言いますか。」
私「こんにちは。は、「アッサラーマライクム」。」
子供「ウォロフ語で、好きな言葉はなんですか。」
私「好きな言葉は、「ジャンマレック。」=平和だけさ。という意味。」
子供「動物の名前で面白い響きの言葉はありましたか。」
私「動物の名前は、、」
フランス語では「ムトン」で、ウォロフ語では…
(あれっ?ひつじはなんて言うんだっけ、、ひつじは「ハル」か!)
思い出しましたが、少し時間がかかりました。
毎日、道端で遭遇したやぎ、ひつじ、ぶた、うし、うま、ロバ。
それぞれにフランス語の呼び名と、ウォロフ語の呼び名があって、
パッと呼ぶことができた名前が、ぼんやりした記憶になっていることに気付きました。
覚えていたものが、だんだんぼんやりしてくる。
記憶は薄れる。
思い出せなくなることもある。
首都から離れたセネガルの地方で1人暮らし。
言葉が通じなくて、セネガル人から敬遠されることがありました。
「なんだ言葉ぜんぜん分かってないじゃん。」みたいに。
色んな人に話しかけ続けていると、私のことを受け入れてくれる人たちがいました。
その人たちは、私の言おうとすることを、
(こういうことを言いたいんじゃないか。)と考えながら耳を傾けました。
そして「こうやって言うんだよ。」と言葉を教えてくれました。
その人たちは、私のしようとすることを、一緒に手伝って、助けてくれました。
細かい記憶はなくなっていっても、私が1人でもがいているとき、手を差し伸べてくれたことは忘れられません。
私が残したいのは、手を差し伸べてくれた人たちです。
見た目、言葉、宗教、色々違くても、それらを越えて、分かり合った部分があることを
忘れない。
このブログで「セネガルにふれて考えたこと」を書いてきました。
発見があったとき、自分の中のセネガルが広がっていきました。
私が発信してきたことが、読む人に少しでも伝わったなら、と思います。
読んでいただきありがとうございました。
セネガルにはもう1回行きます。
きっとタイミングが来るでしょう。
生きて帰ってきた自分に、珍しく「おつかれさん」と言ってあげて、青年海外協力隊としての活動をしめくくります。
自分がこれから「すること」が、
人のためになる、価値のあるものになればいいと思う。
2020年3月。私が住んでいたルーガをはなれるとき。
近所のみんな。
タクシーの運ちゃんたち、めし屋のおばちゃん。
「セネガル行って、価値観変わった?」
今の答え。
「価値観が増えたよ。」