自分道 Jibun-Dou

アフリカはセネガル。青年海外協力隊。

226 慣れる

「協力隊員の一時帰国が決定しました。」

 

とボランティアへ一斉メールが流れてきたとき、

(とうとう来たか。)とショックを受けました。

 

その次の瞬間には、

(動かないと。)と、

すぐにしなくてはならない各種手続きに向かってすぐに体が動き出しました。

 

私の場合、残りの任期があとわずか(3ヶ月)だったので、 家、銀行、電気、水道の解約が必要でした。

 

たった数日で全ての解約を終え、空っぽの家を後にして、住み慣れた地方ルーガを去りました。

そして、首都ダカールへ向かいました。

時間が限られていたので、お世話になった人に全員にあいさつすら出来ませんでした。

 

今日(3月20日)のフライトの予定で動いていましたが、航空便が次々と欠航したことにより断念することになりました。 

 

日本へ一時帰国することが決まってから、セネガルでの生活を頭の中で振り返っていました。

 

ここに来て、たくさんのことが初めてのことだったけど、1回受け止めて、全て慣れてきたんだなと思いました。

何ごとも慣れたら、余裕が生まれて視野が広がります。

そして、自分の出来ることが増えます。

 

今は先のスケジュールが見えませんが、この状況に慣れて、自分が出来ることを考えます。

しばらく、首都でのホテル暮らしとなりました。

 

一番大変だったのは、お金の両替です。

私が持っていたセネガルのお金(FCFAフランセーファ)をユーロへ変える作業です。

どの銀行からも両替を断られました。

これは、おそらく世界的なお金の価値の変動によるもので、いくつも回った銀行は全て両替を断るという姿勢を取りました。

私は、セネガル人の友達に相談したところ、

「1ついける場所がある。」

と教えてもらいました。

 

そこは、私がマルシェ(市場)の一角にある小さな商店でした。

そこを経営しているアラブ系の外国人が両替を請け負っていました。

その店は暗く、せまい空間には人があふれ、完全に闇取引といった空気が漂っていました。

大量の現金を数えながら、私と会話をすると「相手にならん」的な態度で追い返されました。

 

私は不快な気持ちを抱えて一度家へ帰りましたが、やはりそこしか希望はないと判断しました。

私はもう一度そこへ訪れ、粘り強くその人へ交渉しました。

そうすると、ようやくその人は私の要求を飲み、両替することに成功しました。

(1つ試練を乗り越えることができた。)と思いました。

 

そんなこともありながら、

この数日は、あらゆる解約の手続きのため、町の中を行ったり来たりしてました。

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通りに面したこの広い土地には、毎年大量の落花生が積まれます。

 

一見、砂の山に見えますが、落花生の山だそうです。

鳥がそれをつつき回っていました。

 

セネガルの落花生の消費はすごい量です。

「日本の何倍食うのだろう。」

といつも思います。