自分道 Jibun-Dou

アフリカはセネガル。青年海外協力隊。

179 テランガ

セネガルには「テランガ」という日本でいう「おもてなし」の意味の言葉があります。

 

心がおおらかなセネガル人は、人に与える心をもっています。

見返りを求めずに与えるのです。

社交辞令じゃなく、その言葉の意味通り

「ご飯食べに来なよ!」

と自宅に招待してくれるのです。

 

招待でなくても、その辺で昼飯を食べているタイミングで私が通りかかると、

「食べていきな!」

と見ず知らずの私を招き入れます。

 

日本で生活していると、ある程度の人間関係がなければ、家に招待されることはありません。

そこが、大きな文化の違いです。

 

友達の家に入れてもらうと、ご飯を食べ、ジュースをもらい、スイカをもらい、お茶をもらいます。

少しお金がかかってでも、おもてなしをしてくれます。

決して稼ぎが多くない中から出されたお金であることを私は知っているので、よりありがたみを感じます。

 

「これがテランガ(おもてなし)だよ。」と、

当たり前のようにふるまっているセネガル人を見ると、友好的な雰囲気を感じることができます。

 

周りには何もない砂だけが景色の場所で、見返りを求めずただ家まで送ってくれたタクシー運転手がいました。 

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雨季で今では砂だけだった場所には草がよく伸びています。

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私が歩いていると、1台のタクシーが通りがかりました。

タクシーの運転手に

「乗っていきな!」

と言われました。

 

私は乗せてもらうと、その運転手が去年お金を受け取らずに私を乗せてくれたタクシー運転手だとその人の雰囲気から分かりました。

顔は忘れていたけど、名前はメモしていたので確認してみるとビンゴでまさに同じ人でした。

 

今回も同じく、

「お金はいらないんだ。」

と、再びお金は受け取らずに送り届けてくれました。

 

仕事が限られているセネガルの地方で、タダでサービスをすることは、テランガの心なくしてはできないと思いました。

前と同じで、私の気分は晴れました。

 

テランガの心をもった人の懐(ふところ)の深さを感じました。

 

 

1年の中で雨季は7〜9月と言われています。

今年も10月に入り、全く雨が降らない時期に差しかかっています。

季節の変化で、町の売れ筋の果物も変化します。

 

この間まで旬だったマンゴーの食べおさめをしました。

しばらくお預けです。


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