自分道じぶんどう

アフリカは、セネガル。青年海外協力隊。

71 体×

日本ではニュースにもなる、学校での先生による体罰が、セネガルの教室には、まだ残っています。

脈々と続いていることなのでしょう。

 

授業をさせてもらいつつ、クラスを見てまわっています。

教室に入った時に、気持ちの良い空気が流れているかどうかで、どんな指導をしているのか、みとることができます。

 

あるクラスではベルトで、

注意するときに、子供を打ちます。

耳を引っ張ったり、ビンタしたり、頭をはたいたり、ということも目にしました。

 

今日は、大きなムチを打つ音がして、

机の上に、うつ伏せにして、おしりの辺りを打っていた光景を見ました。

子供は、おびえていました。

 

見たくない光景ですが、多くのクラスで行われている事実なのです。

 

体罰で、子供を従えているクラスは、しんとしていて、みんな、顔の表情がこわばっています。

人数が多く、待つことが多い授業で、体を止めて待っていることは、子供には非常に難しいことです。大人でも出来ないことです。

 

恐怖で静めているクラスは、その先生がいない時には、解放されるので、その反動で騒がしくなります。

 

私の授業中に、子供達が騒がしくなったときのことです。

一生懸命授業を受けたい子が、クラスに置いてあるベルトを持ってきて、大真面目に、

「これで、静かにさせて」

と言ってきました。

これが、どんなに悲しいことか。

 

静めるには、ムチで打つ、という発想がここでの当たり前になっているのです。

 

休み時間をみていても、友達同士、ひもで打ち合っている様子を見るので、

潜在的に、人を打つ、たたく、ことがやっても問題ないこと、ととらえてしまっています。

 

ベルトをもって来た子から受け取って、クラスのみんなに話しました。

 

「このベルトは、私は使わない。」

ベルトを床に捨てました。

 

「あなたたちは、耳で聞いて、分かることが出来ます。だから、ベルトで打つこと、はたくことはしません。」

 

片言のこの言葉がどれだけの子供に通じたか分からないけど、聞いていた先生には響いたようで、その後話に来てくれました。

 

私の考えを、はっきり伝えて、少しでも伝わっていけばいいと思っています。


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イスラム教の関係か、各クラスでアラビア語の授業が週数回行われています。

ポイ捨てされているゴミは気になるけど、

アラビア語の先生が自主的に作った手作り花壇。

この心、素敵です。