自分道じぶんどう

アフリカは、セネガル。青年海外協力隊。

156 ピン

今住んでいる街へ私が初めて着いたとき、自分を含め5人の日本人ボランティアが生活していました。

1月に隊員2人が帰国し、

7月に隊員2人が帰国したので、今、私1人だけになりました。

 

ピンです。

 

同じ任地に日本人が活動していると、いざという時に助け合いができます。

「蛇口がポキっとね」事件の時も、日本人がいたら、真っ先に頼っていたはずです。

 

同じ街に隊員が何人か生活していると、生活レベルが上がることがあります。

 

私の住む街ルーガでは、「魚」が売っている場所があります。魚市場です。

その魚はここで獲れた魚ではなくて、少し離れた海沿いの街で獲れたものです。

だから、ここに来るまでに鮮度が落ちているものが多いです。

今まで、魚は火を通して食べるということが基本でした。

 

この間帰国した隊員は、魚市場に何回も足を運んでいました。

通ううちに商人と仲良くなり、鮮度のいい魚の目利きができるようになり、鮮度のいい魚を売ってもらえるようになりました。

ある時、朝一で鮮度のいい魚を買って、刺身にすることに挑戦しました。

その隊員曰く、

「2年生活して、語学レベルが上がって、そこにいる人たちと関係ができたから、刺身を食べるところまでたどり着けた。」

という風に言っていました。

 

刺身を食べることができるまでには、人間関係が絡んでいたのです。

 

その刺身を食べましたが、本当に美味しいあじでした。

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たくさんさばいたので、あじの「なめろう」を作りました。

それまた絶品でした。


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日本でなめろうを一緒に食べた仲間たちを思い出しました。

 

前にいた隊員が築いたセネガル人との人間関係から生活レベルが上がり、知恵や工夫が引き継がれています。

 

人間関係のなごりが、まだまだ街に残っています。

タクシーの運ちゃんや子供など地元の人たちは、前にいた隊員の名前を口にすることがあります。

 

地元の人「〇〇は、どこにいるの?」

私   「彼は、もう帰ったよ。」

地元の人「〇〇は、セネガルに戻ってくるのか?」

私   「う〜ん。分からないなぁ。」

地元の人「◯◯とは、友達なんだよ。元気してるかな?」

 

日本人とのエピソードをする時、みんな笑顔で話をしてくれることが、私はうれしいです。

悪い話を聞きません。

過去にいた隊員がそれぞれ心がけてつくってきた「セネガルとのつながり」が、話の中にみえるのです。

 

知恵や工夫も人間関係も引き継がれてきたことなんだな、と感じます。

私もセネガルといい関係をつなぐ想いで、ピン生活を送っています。

 

来月に、新しい仲間が街へ来ます。

私が知っていることは伝えて、新しく生活を発展させていきます。

そして、セネガルとのいい関係も。